突き放す5題

1.君の為にならないから

2.勝手にしなよ

「──ああ、やっぱり!」
 常と変わらず石版の守り人として佇んでいたルックは、遠く入り口から響いた声に煩げに視線を投げた。白い何かを抱いた少年が小走りに駆け寄ってくる。そうして花咲くように満面の笑みを浮かべた。
「ルックだろう? 僕だよ、フッチだ。元竜洞騎士団のフッチだよ」
 覚えている? と首を傾げて覗き込まれる。ルックは軽く鼻を鳴らしてすいと顔を背けた。
「……そのトカゲはなんなのさ」
「トカゲじゃないよ、きっと竜だ。ううん、絶対竜だよ。名前はブライトっていうんだ」
 そう言って白い『竜』を掲げる。生まれたての小さな身体で空色の眸をまあるく開いて、それは小さく鳴いた。フッチがいとおしそうに頬を寄せるさまをチラと一瞥し、ルックは呆れたように息を吐く。
「敵の総大将の名を付けるなんてトンデモないね、君って」
「……知らなかったんだから仕方ないだろ。それに──ブライトはブライトだもの」
「まあ、『ホワイト』よりはマシなんじゃない」
「──もしかしてバカにしてる?」
 鼻で笑うルックにくちびるを尖らせるも、フッチは気を取り直したようにブライトを抱き直して笑みを向けた。
「はは、ルックはルックのままだ、変わらないね。──ああでも少し、背が伸びたみたいだ。もう追い越すくらいにはなったと思ったんだけどな」
 比べるように手を翳し、少し悔しげに苦い笑みを浮かべた。
 ルックは不快気に眉を寄せながらフッチを見やった。三年前は昏く荒んだ表情の多かった少年は、竜を手に入れ希望を見出したからだろうか、友を亡くす前のあのただの高慢な表情とは違った、柔らかい笑みばかりを見せる。以前のような小生意気さはすっかり鳴りを潜め、随分落ち着いた物腰をしていた。
 月日はこんなにも人を変えるものであったのかと、時の流れぬ塔で生きる自身を顧み──少しの眩しさに瞼を伏せた。
「フン、君の方こそ変わりはないようだね──と言いたいところだけど、えらく大人しくなったじゃないか。昔はあんなにクソ生意気なガキだったのに」
「……君がそれを言うんだ……」
「なに?」
「……べつに」

 そうして城を流れるふうわりとした風を全身に感じながら、フッチは深呼吸するように息を吐いた。
「ああ……この風、ルック──君だね」
 怪訝そうに視線を寄こすルックへ小さく微笑んで続ける。
「一見ルックの言葉は冷たく思えるけど、いつだってその風は温かくて──優しかった」
 柔らかな流れが髪を撫ぜてゆく。心地良さに瞼を閉じて記憶を辿った。
「三年前、ブラックが死んでひどく塞ぎ込んでいたあのときも、風がずっと傍でやさしく見守ってくれていたよ。冷たい言葉とは裏腹のそれを、とても温かく感じたのを覚えてる」
「……思い込みもそこまで行くと感嘆に値するね」
 呆れたように嘆息するルックに、フッチの苦笑が漏れる。けれどそれは小さな笑みへと変わった。
「僕は竜と空と風と共に生きていたもの。──判るよ」
 そう言って、風色の双眸を見据える。懐かしいその色は、やはり深く柔らかな色をしていた。
「……勝手に言ってなよ」
 不機嫌に顔を背けるさまもまた懐かしい。フッチは思わず噴き出すように笑った。ますますルックの柳眉は寄せられ、ロッドが振り被られる。切り裂かれる前に、と慌てて飛び退く。舌打ちが耳に入りまたも噴き出しそうになるのを堪え、気を取り直したように右手を差し出し微笑んだ。
「これからまた、よろしくな」
 ──その手が握り返されることはなかったけれど、風が笑ったから。きっと応えてくれたのだと、フッチはそう思った。

3.所詮僕らは他人でしょ

4.君にしてあげることは何も無い

 月のない、夜だった。
 憎らしいほどに澄み渡った星空。数多の光が瞬いている。その一つが流れて消えていった。

 湖上の城のほとりに独り、フッチは佇んでいた。頬を伝う涙は枯れることなく、光を受け煌めき──落ちた。

 ブラックが死んだ。あの魔女の手によって。最期までフッチを守って、死んだ。
 フッチがブラックの最期を看取ることは出来なかった。無様にもなす術もなく斃れ、次に目覚めたときには──その心の臓は竜たちに捧げられていた。深い深い永遠とも続く眠りへと堕とされた彼らが、再びその翼を取り戻したことには心から安堵した。けれど。けれど、なぜブラックがと、そう思ってしまったことも事実だった。

 なぜブラックが死ななければならなかったのだろう。
 フッチのくちびるが歪み、笑みを象った。
「おれが、殺した」
 フッチが一人先走らなければ、ブラックが死ぬことはなかった。
 あの魔女に対抗し得る術さえあれば、ブラックが死ぬことはなかった。
 フッチの軽率さと驕りこそが、ブラックを殺した。

 そうしてまた、一筋の涙が頬を伝った。
 瞬きもせず、空を仰ぐ。
 この果てなく広がる空を駆けることはもう──ないのだろう。騎竜を喪った竜騎士は、ただ地に堕ち地を這うしかないのだ。物心ついたときには既に傍らに在った友を、故郷を、誇りを、存在意義を、何もかもすべてを失い、フッチは今ここに居る。
 殺しきれなかった息が漏れる。知らず震える身体を抱いて俯いた。

 冷たく吹き荒ぶ風が湖面を揺らす。こつりと、背後に気配が立った。鋭く振り返る。
「いい加減鬱陶しいんだけど」
 風を纏いふうわりと降り立った少年はそう吐き捨てた。
「あんたには関係ないだろ」
 フッチは乱暴に涙を拭い闖入者を睨んだ。見られた、その羞恥に頬が染まる。けれどルックはそんなフッチを一瞥すらせず、ゆっくりと歩を進め──追い越し背を向け立ち止まった。
「あんた何なわけ? もうずっと風が煩くて眠れやしない」
 切り揃えられた髪が風に靡く。それを鬱陶しげに払い、嘆息した。
「おれが知るかよ」
「まったく、いい加減にしてくんない。たかがペットが一匹死んだくらいで情けないったら」
「ブラックはペットなんかじゃない!!」
 激情のままルックの腕に手を掛け叫ぶ。高い位置から不快気な視線がフッチを射抜いた。怯みそうになる自身を払うように小さくかぶりを振って、その風色の双眸を強く睨みつけた。視線が絡む。
 頬にまた一筋、雫が伝った。
「ブラックを侮辱するな」
「……まあ、どっちでも良いんだけど…… とにかく、君がめそめそしていると風が煩いんだ。コドモはさっさと寝なよ」
 短く息を吐いて、ルックはその腕を振り払った。
「風がナントカって意味わっかんないけど、おれがどこで何してようと勝手だろ」
 視線を逸らし、舌打ちする。そうして皮肉気に口を笑みの形に歪ませた。
「下手な慰めはいらない。周りの大人共にもうんざりだ。おれのことは放っておいてくれよ!」
「──やめてよね、何勘違いしてんのさ。僕が君にしてあげることなんて何もない。ただ風が煩かったから元凶を取り除きに来たまでだ。面倒ごとはごめんだね」
 心底不快気に顔を歪ませたルックの言葉と共に、冷えた夜風が吹き荒びフッチの視界を遮った。咄嗟に腕で覆い庇う。そうして瞼を開いたその先に少年の姿はなく──ただ星を映す水面が揺れているだけだった。

「なんなんだ、あいつ……」
 小さく呟いて、軌跡を辿るように視線を移し城を見上げた。その頬を風が撫ぜる。
 伝った涙は、とうに浚われ消えていた。

5.正直に言う、僕は君が嫌いだ。