sysphere*

6.26

 騎士に肩車されたまま前を行くミュスカが、何かに気付いたようにシャムロックの頭をはたいた。
「シャムロック! あれはなに? 水たまりから湯気が出ているわ!」
 そうして遠く脇道の奥へと指を差す。一同は足を止め、倣うように岩陰を見やった。
「ああ、あれはいわゆる『温泉』ってヤツですね。地中から湯が湧き出してんです。こんな山間に露天風呂たぁ乙なもんだ」
「おふろなの? ミュスカの宮のはんぶんもないじゃない! ──でもその『ろてんぶろ』っておもしろそうだわ。つれて行くのよ、シャムロック」
 初めて目にするものに興味を惹かれたのか、ミュスカは眸を輝かせながら手元の頭を数度はたいた。シャムロックは仕方がないというように肩を竦めてベルカを振り返る。
 ベルカもまた、うずうずとした様子で眸を輝かせていた。
「あれが『温泉』なのか!? すげーな、本当に水たまりだ…… なぁ、行ってみようぜ!」

「──で、どーするの? ミュスカ姫も居るのにー」
 湯気をまといながら、温泉の前一同は立ち尽くしていた。視界の隅、ベルカは早々と上着を脱ぎ始めている。エーコの言葉に手を止めるも遅く、ミュスカが怒りと羞恥で頬を染め叫んだ。
「ちょっとへいみん! レディの前でなにしてるのよー!」
 そうしてシャムロックから飛び下りエーコの元へと走る。小さな身体を精一杯伸ばし、その眼前に指を突きつけた。
「あなたたちはあっちへ行ってて! ミュスカがまんぞくしたら、そのあとで入るのをゆるしてあげてもいいわ」
「えー、ズルイなぁ。えこたんも今入りたいもん。それに姫様一人でだいじょうぶ? 侍女を付けずにお風呂なんて初めてなんじゃない?」
 ぷうと頬を膨らませて、エーコはミュスカの指へと指を突き返す。ミュスカは言葉に詰まり視線を彷徨わせていたが、何かに気付いたのか勝ち誇った笑みを浮かべる。
「そうだわ! へいみんが侍女になればいいのよ! あのときみたいに女のひとのかっこうをすればもんだいないわ!」
 言いながらベルカを指差した。どうだと言わんばかりに両腕を組んで。
「えっ!? 俺!?」
 何を言われているのか理解出来ないまま、ベルカは上着を手に自身を指差す。そうしてエーコを伺うと──嫌な予感しかしない満面の笑みが返された。それではと背後に控えるリンナへと振り返るも、ベルカの女装マリーベルを思い出したのか頬を染め俯いている。
 ベルカの口元が知らず引き攣った。
「そうよ、へいみん! こうえいに思いなさい。──ウィッグはしじんが持っているの? もちろんお洋服もきがえるのよ!」
「はぁい、姫様♡ さ、マリーベルたん出番だよぉ」
 にんまりと、エーコが振り返る。ベルカは思わず顔ごと視線を逸らした。

「……大体何でおまえは女装一式こんなものを持ち歩いてんだ……」
 観念したのかさせられたのか、ウィッグを被りメイド服姿のベルカはそう深く長い息を吐いた。
「ん? えこたんの七つ道具の一つだよぉ。きみのそれはそう、用意周到って言ってほしいなっ」
 こめかみを押さえるベルカにお構いなしに、エーコは鼻唄交じりに告げる。ベルカはまた一つ嘆息し、そうして誰にでもなく呟いた。
「いやそもそもその理屈はおかしい。女のカッコしたって男なのは変わんねーだろ……」
「ちょっと! いつまでミュスカを待たせるつもり!?」
 遠く、急かすようなミュスカの声が響く。また一つ長い息を吐いて、ベルカは立ち上がった。風呂は一人で入るに限る──改めてそう思いながら。