sysphere*

Opus 11.5

 薄く灯りの点された廊下を歩く。森が近いからだろうか、低く夜鳥の鳴く声が響いていた。
 階下へと至る道へ差し掛かったところで、長身の人影が上がり来るのが見えた。男もベルカに気付いた様子で、慌てて姿勢を正す。
「殿下、お休みになられたのでは……」
「喉、渇いてさ。水でも飲もうかと思って。──おまえは今頃風呂か?」
 言いながら、ベルカは目の前の男を見やった。ふうわりと香るバスオイルに上気した肌。普段はゆるく後ろへ流されている髪が今は下ろされ、雫が滴っている。
「殿下御自らそのような……お申し付けくださればお持ち致しましたのに」
「水ぐれーで大げさな奴だな。それよりおまえ、髪ちゃんと乾かさねーと風邪引くぞ」
 そうして男の手に持たれたままのタオルを奪い取り、濡れた頭を荒く擦る。
「で、殿下!」
「おまえ無駄にデカイな。ちょっとしゃがめよ」
 爪先立った不安定な体勢に眉根を寄せ、ベルカはタオルごと男を引いた。男は中途半端に腰を屈めされるがままでいる。機嫌良く鼻唄交じりに髪拭くベルカの指を心地良く感じながら──けれど緊張に身を固めながら。
「っし、こんなもんか」
「あ、りがとうございます」
 ベルカは満足したように一息吐いて、荒く乱れた髪を手櫛で整えた。洗髪剤の爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。思いがけず柔らかに指梳く髪を眺め、気付いたように小さく首を傾げた。
「おまえ、髪下ろすと幼く見えるな。なんかカワイーの」
「か、可愛い……、ですか」
 くすと笑むベルカに、男は頬を染めながら指先で前髪を弄る。普段であれば大雑把に流し上げるものの、ベルカの触れたそれが惜しく思えて──そのまま腕を下ろした。
「じゃ、俺水飲んでくっから」
 おやすみ、と手を振り横をすり抜けてゆくベルカへと、男は慌てて振り返る。
「お供致します!」
「えー…」
「『えー…』って、そんな……殿下」
 夜の静寂しじまに小さく笑い声を響かせて、二人の影は階下へと消えて行った。