sysphere*

お題ったー 03

 ノックを四度。常であれば即時返る素気無い声音はけれどなく、数瞬待てども応えはない。キリコは僅かに柳眉を寄せもう一たびノックをしたあと、やはり返らぬ声を待たずに扉を開けた。
「失礼致します。明日の──オルセリート様!?」
 目礼し足を踏み入れた私室の、窓際に面した床の上に倒れ込む小さな影──陽光に煌めく髪が、開け放たれた窓からそよぐ風に舞っている。蒼穹を映す双眸は金糸に伏せられ、ぴくりとも動かない。
 暗殺、毒、侵入者、警護の者は、何を、何処に、そんなとりとめのないことばかりを脳裏に巡らせながら、荒く靴音を響かせキリコは主へと駆け寄った。跪き首元へと手を伸ばそうとしたところで──そのまま力任せに腕を引かれ、視界が反転する。強かに打ち付けるかと思われた肩への衝撃は、毛足の長い絨毯が和らげてくれたようだった。
「……オルセリート様」
 一つ二つと瞬いて、主の名を呼び嘆息する。恨みがましい視線を物ともせず、オルセリートは悪戯に成功した幼子のようにニヤと笑みを浮かべ、己の従者を覗き込んだ。
「おまえのあんな声など、初めて聞いたな」
「……当然です。あなたは私の王子なのですから」
「よく言う」
 そうしてまた一つ笑んで、オルセリートは床へと倒れ込んだ。キリコの視線が自然追う中、押さえ付けられ伸ばされたままの男の腕へと頭を預けて。もぞもぞと座りの良い位置を探しながら、満足したのか瞼を伏せる。
「固い」
「何をなさっておいでです」
 低く漏らされたそれにキリコはまた一つ嘆息し、隣のつむじを見やる。風にそよぐ金の髪が頬をくすぐった。
「腕枕だ。知らないのか。僕も初めてだが……存外悪いものではないな」
「そうではなく、」
「ああ……、ここ…は……陽当たりが……ぁふ、心地好く…て……な…」
「オルセリート様?」
 そう、身を起こそうとしたところで聞こえた寝息に、キリコはそのまま絨毯へと身体を沈めた。手持ち無沙汰に見上げた天井に施された繊細な細工を数える。くだらない、と吐き捨てるように視線をずらし、開け放たれた窓の外、どこまでも高い蒼穹を見やった。
 空の、青。
 遠い、遠い昔、どれだけ手を伸ばしても決して届くことのないそれがひどく恨めしく思えたものだった。ちくりと、未だどこか胸を苛むそれが、また別の焦がれてならない痛みへと変わったのはいつだったろうか。
 自由になる右手を翳す。今は手袋に覆われたそこには、交わされた血による証があった。傷は消える。けれど刻まれた言の葉は、飢えた心を昏く満たしていった。遠い、遠い昔から、決して癒されることのなかった渇望が。
 閉じた瞼の裏、描かれるのはあの薄暗い地下での、契約。
「ああ……、ここは…本当に……陽が…心地…好い……」
 力なく、右手が腹へと落とされる。ふと脳裏を掠めた公務のことは──意識と共に溶けて行った。