sysphere*

お題ったー 05

 突き付けたナイフが黄昏の朱陽に鈍く光る。瞠目するさまをくつと笑って、ライツは掴んだ腕を引き足を払い倒した。
 頭を背を強かに打ち付け咳き込むロヴィスコに構わず、跨り覗き込む。生理的な涙に揺らぐ眸に高揚するままナイフを振り翳し──

 自身の荒い息遣いと肉を抉る粘着質な音が不快に響く。苛立つそれをかき消すように、また一たび腕を振り上げた。腹へと食い込んだ刃が血でぬめる。勢い殺がれ、ライツは柄尻を両の手で押さえ付けながら一つ息を吐いた。
 定まらぬ焦点。視界を覆い尽くす赤。鼻腔を侵す濃密なにおいが脳髄をも犯してゆくようで、陶然と口元に弧を描く。
 ナイフを突き立てたまま、するりと手のひらを滑らせた。溢れ出る赤へと、そうして心の臓へと。弱くけれど未だ確かに脈動するそれを肌に感じながら額を預ける。

 刃を振り翳したときも、刃がその身を貫いたときも、組み敷かれた男は何を言うこともなかった。ただ夜色の眸だけがライツを見ていた。問うでもなく責めるでもなく、ただライツを見ていた。
 その眼差しから逃れるように肉を抉り続けた。苦痛に呻く声が吐息が性交のそれのようで──下肢が熱を帯びた。

 ロヴィスコに跨り額付いたまま、今なお屹立するものを腰へと擦り付ける。喘ぐように息衝きながら、血に染まる制服を一層穢すように。着衣越しのもどかしさと変態じみた行為に、ライツは自嘲気味に喉を鳴らし嗤った。
 男の胸に爪立てた手に、震える手のひらが重なる。冷やりとしたそれに笑みを飲み込み顔を上げると、また、あの眸がライツを見据えていた。
 ロヴィスコのくちびるが言の葉を象り動く。けれど漏れたのは擦れた吐息だけで。それを茫と視界に入れたままのライツを一瞥して、ロヴィスコの視線が下がる。
 一つ深く息を吐いて瞼が伏せられた。震える腕がライツの手に指に絡む。そうしてゆっくりと引き寄せられた手のひらに──ロヴィスコのくちびるが触れた。
 柔らかな粘膜の感触。冷えたそれが掠めるように離れてゆく。瞠目し見返すと、また──あの眸がライツを見据えていた。今度は淡く笑みさえも浮かべて。

 一度として、この男を理解し得たことなどなかった。掛けられる言葉の意味も、眼差しの意味も、微笑みの意味も、何もかもが理解し得なかった。解らぬそれに苛立ちばかりが募った。
 こうして今も、この男を理解し得ない。掛けられぬ言葉の意味も、眼差しの意味も、微笑みの意味も、くちづけの意味も。何もかもが理解し得ない。解らぬそれに慄然とする。

 ヒュと息飲み、ライツはその手を振り払った。視線は、夜色の眼差しに囚われたまま。知らず震えるくちびるを誤魔化すように噛み締める。そうして逃れるように上体を起こして──突き立つナイフへと手を掛けた。
 心臓の鼓動が耳障りでならない。早鳴るそれが耳障りでならない。ライツは荒くかぶりを振った。両の手で柄を握り締め俯く。呼吸がままならない。視界を覆い尽くす赤に夜色の残像がちらつく。
 心臓の鼓動が耳障りでならない。早鳴るそれが耳障りでならない。ライツは荒くかぶりを振り、勢い良くナイフを引き抜いた。生温い血が音を立てて頬に髪に掛かる。構わず、男の腹に刃を突き立てた。幾度も、幾度も、苛む焦燥感をかき消すように。

 心臓の。
 鼓動が。
 耳障りで、ならない。

 昂ぶる情動に生理的な涙が散る。俯き目を見開いたまま両腕を振り上げ──最後に胸を貫いた。

 柄尻を押さえ付けながら、ライツは喘ぐように息を吐いた。零れ落ちた涙が血と交じり合う。ゆうるりと上げた視線の先、眼差しはなく──濁った昏い眸が、薄く開かれた瞼の下に在るだけだった。
 視線をずらす。最期にライツへと伸ばされた腕は力無く床へ放られ、ぴくりとも動かない。
 視線をずらす。眸と同じに薄く開かれたくちびるから漏れるものはなく、鮮やかな赤い色だけが口元を伝い彩っていた。
 誘われるままに覗き込み、血にぬめる手で頬に触れる。そうして一撫ぜしたあと、緩慢にくちづけた。一度、二度と触れ吸い上げる。舌先を滑り込ませ咥内を味わうように舐め取った。常であれば絡む肉は、ない。
 もう一たびくちびるへと触れたあと、ライツは男の胸に突き立てたままのナイフへと額付き──肩を震わせ嗤った。