君に心を

 時の流れから切り離されたこの島には、星見の魔術師とその弟子だけがただ幽寂に在った。天高く聳え立つ塔、何者をも拒む昏く深い森、けれど陰湿さはなく──清浄なる不可侵の領域として、常人には知覚し得ぬ結界に護られていた。

「切り裂き」
 変声期を終えたばかりの少年の声が回廊に木霊する。淡く光を帯びた右手から放たれる風は、幾重もの刃となって対象を鋭く切り裂いた。
「ああぁぁぁあ! ぼくの傑作がぁぁああ!!」
 情けなく悲痛な叫び声を上げながら、男は無残な姿と化した細工の前に四つん這いになった。それを侮蔑するように冷えた視線を投げたあと、ルックはロッドの石突きで数度床を叩いた。
「あんた、ここで何してんの」
 コンと、また一突き。
 大きな丸い眼鏡を定位置に戻しながら、男が振り返る。そうして膝付いたままへらっと相好を崩した。
「やあ、ぼくがすることと言ったら一つだよ。飾り窓を造っていたのさ」
 コンと、また音が響く。
「──僕が訊いているのは、あんたが何でここに居るのかってことだよ」
 場合によっては──と少年の右手が淡い光を帯びる。短い悲鳴と共に慌てて男は立ち上がり両手を挙げた。
「ちょ、ちょ、ちょっと落ち着こうよ。ぼくはここ『魔術師の島』の飾り窓工事を任されたんだ。ほら、これ!」
 言いながら、ポケットの中からくしゃくしゃの書類を差し出す。ルックは不機嫌に眉根を寄せたままチラとそれを見やった。確かに、トラン共和国大統領レパントの署名と捺印が在る。
「ふーん、嘘は吐いてないみたいだね」
 冷えた視線に射抜かれながら、男はシルクハットを揺らしてこくこくと頷いた。
「もちろんもちろん! レックナートさまにもお許しを頂いているよ!」
「あぁそう。じゃあ勝手にやってなよ」
 そう言い残して、用は済んだとばかりにルックは光る風と共に姿を消した。

 長く広い回廊に静寂が戻る。
 きゅとシルクハットを被り直し、男──ウィンドゥは足元に散る破片へと手を翳した。右手が淡色を放ち、欠片が飴細工のように溶けてゆく。それらを練るように捏ね合わせて、鼻唄交じりに細工を形付かせていった。

「あんたまだ居たの」
 そうして半年も経った頃、二人は再び顔を合わせた。風を纏ってふうわりと背後に降り立った少年に、ウィンドゥは振り返り満面の笑みを向ける。大きな丸眼鏡がキラリと光った。
「ルック、ルック。見ておくれよ! もうすぐなんだ。ぼくの最高傑作が今まさに完成するよ!」
 『窓の紋章』の負荷がどれほどのものか知らない。けれどウィンドゥの額に頬に大粒の汗が伝っていた。時折荒く息を吐いている。その両手の中では、飴細工のような『モノ』が大きくその姿を変えていた。鮮やかに色付いてゆく。そうして一つ高い音が響き──一際大きな飾り窓が陽の光を受け煌めいた。
「ご覧よルック! ぼくの生涯の傑作だよ! あぁ、最後のこれを完成させるのにどれほどかかったことか……!」
 決して豪奢ではない、けれど柔らかな曲線を描き極彩色の息吹を感じるこれは──
「ルック、これは君だよ。世界を鮮やかに色付かせながら巡り巡る風さ! どうだい、気に入ってもらえたかい?」
 陽光が飾り窓を通して極彩色にルックを彩る。瞬きを忘れたように茫とそれを視界に入れたまま、ルックはただただそこに佇んでいた。どくどくと『ツクリモノ』の心臓が早鳴る。忘れていた呼吸で肺が満たされ一つ二つと瞬いた。その合間に無彩色の世界が混じる。そこでようやくルックは意識を取り戻した。
「……こんなもの」
 呟いて、俯き右手を強く握り込んだ。極彩色の世界なんて、まやかしだ。いつだってルックの世界は、この忌まわしい紋章の見せる灰色で塗りつぶされていたのだから。
「灰色なんかじゃないよ」
 見透かしたようなウィンドゥの言葉に、ルックは鋭く顔を上げ睨み据えた。
「あんたに何が判る」
「──君も知ってのとおり、ぼくは飾り窓職人さ。飾り窓のことなら誰にも負けない。どんなところにも、どんなものにだって、ぼくには窓が見えるんだ」
 言いながら、ウィンドゥはルックの胸元に指先で触れる。そうしてノックするように三度叩いた。
「ぼくには、ひとのこころが窓に見える。そう、君のここに、窓がある。やさしいいのちの息吹の色をした、窓が」
 すうと離れた指を辿るように見やったあと、ルックは俯き震える右手を胸元へと添えた。
「この塔で仕事をしている間、ときどき君を見掛けた。君はぼくに気付いていなかったのかそれとも無視していたのか──とにかく、きみの窓が時折揺らぐのを見た。そう、灰色にね」
 ぎくりと、ルックの眸が見開かれる。安心させるように大きな手でその華奢な両肩をやさしく叩き、ウィンドゥは続ける。
「でもきみは決してそれに屈しないんだ。瞬きのあとにはもう、元の鮮やかな風色に戻っている。だから最初は気のせいかと思ってた。でも、ここではないどこかを見ているときの君の窓は灰色に塗りつぶされていて──だからぼくは、一番陽の光の入るここに、君の窓を作ろうと思ったんだ」
 陽に煌めく飾り窓を背に、大きく両手を広げてウィンドゥは天を仰いだ。そうして瞼を閉じる。
「こんなにも色鮮やかに光り輝いているんだ、て! ぼくの見た君の窓を心を魂を、君自身に知ってほしかったんだ」
「これが……僕の、心……魂、なの」
 魅入られたように微動だにせず、ルックは茫と極彩色の窓を見ていた。
「そうさ! 希望の光に満ちた色鮮やかな、風! どう、気に入ってもらえたかな」
 一筋伝った涙を誤魔化すように、慌ててルックは俯く。胸元を握り締め、震える声で呟いた。
「僕は……未来を、信じていいのかな。灰色の世界を、鮮やかに色付かせ──られるかな」
 戦場では大きく見えた少年は、今はただ年相応の小さな少年に思えた。ふうとやわらかく、けれど締まりのない笑みでウィンドゥは力強く頷く。
「もちろん! だって君はこんなにも、極彩色の魂を持っているんだもの!」
 俯いたその下で、ルックは泣き笑いのように笑んだ。ウィンドゥにそれを見ることは出来なかったけれど、ルックの窓が一層鮮やかに煌めいたから──きっと喜んでもらえたのだと、そう思った。

Postscript

エンディングでのウィンドゥのその後を見て、これは!!と勢いのまま書いたもの。2までのルックはまだ未来を信じ希望をその胸に抱いていたのだと思うのですよね。そう考えるとますます3が切ない……