顔、10のお題

1.目の温度

2.0.001秒の表情

3.痕のある首

4.口にかかる髪

 昼時も過ぎ客も疎らなレストランに、フッチはシャロンに引き摺られるようにして連れ込まれていた。道中すれ違った仲間たちに生温い眼差しを向けられていたことには──気付かなかった振りをしたい。この少女に掛かればさしものフッチも形無しであることは、既に周知の事実であるのだけれど。

「ボクを置いてったバツだかんね!」
 メイミに注文を終えテーブルについた途端、シャロンは頬杖をついてニンマリ笑ってそう言った。
「『置いてった』って……。バランス調整のためのパーティーだったんだから仕方ないだろう」
「フンだ」
 こめかみに手を当て嘆息するフッチを不満げに睨むシャロンの視線が痛い。しょうがないな、と次はバディを組むことを約束した。ブライトの寂しげな目を想像すると胸が痛むが、なるほどシャロンもそうだったのだろうかと思えば、不機嫌な少女の様子も可愛らしく見えた。
 自然口元に笑みが浮かんだところでデザートが届く。
「はいはい、これで機嫌を直してくださいませお嬢さま」
「うむ、良きに計らえー」
 おどけるフッチに大層満悦気に笑い、シャロンは小さな口いっぱいにショートケーキを頬張った。その表情が甘く蕩ける。
「っおいっしー! もー、メイミは天才だね。こういうシンプルなものこそ料理人のシンカが問われるってゆーか」
 うんうんと頷いて講釈を始めるシャロンをチラと見やったあと、ミルクを一匙入れたコーヒーを口にしながらフッチはくすりと笑った。
「判ったようなこと言っちゃって」
「……何か言った」
「いいや?」
 誤魔化すようにモンブランにフォークを入れる。口の中を広がる甘さに頬が緩んだ。必要な食事以外をこうして口にすることは稀であるけれど、ああ確かにこれはクセになりそうだ。女性が足繁く通うのも頷けた。

 ふと視線に気付き顔を上げる。シャロンがじっとこちらを──正確にはモンブランを見ていた。
「ねぇねぇ、ボクもそれ食べたい!」
「──頼もうか?」
 太るよ、とは口の中だけで呟くに留める。
「ううん、一口で良いもん。ねぇね、ちょーだい」
 眸をキラキラと輝かせて身を乗り出すシャロンに、フッチはモンブランを載せたフォークを差し出した。
「はい、どうぞ」
「──ぇえ、」
 シャロンの表情が固まり、視線がフォークとフッチの顔とを行き来している。
「どうかした」
「ぅうん、なん、でも」
 言いながら、シャロンの頬が赤く染まる。親の敵のようにフォークを凝視してチラとフッチを見やったあと、瞼を閉じて口を開いた。
 その小さな口にモンブランを運ぶ。頬を赤く染めたまま静かに租借しながら、シャロンは俯いていった。口に合わなかったのだろうか、そんなシャロンの様子にフッチは首を傾げた。
「あまり好きじゃなかったかい」
「……メイミのケーキはどれも美味しい……じゃ、なく、て!!」
 俯いたままぼそぼそと呟いたかと思えば、勢いよく顔を上げ声高に叫んで身を乗り出してくる。シャロンの剣幕に僅かにフッチの背が仰け反った。
「大体さ、フッチはそうやっていつもいつも、っ」
 言い募るシャロンの口元にフッチの手が伸びる。そっと触れ、払う動作のあと僅かにくちびるを掠めて離れた。
「髪、食べてた」
 そう言って指についたクリームを舐め取る。
 表情を凍らせたまま動かないシャロンに首を傾げたあと、フッチは何事もなかったかのようにカップへと口付けた。こくりと一口終えた頃、眼前の少女はふるふると肩を震わせ──耳まで赤く染めて言葉なく突っ伏した。
「お嬢さん、行儀が悪いぞ」
 フッチの眉が顰められ、呆れたように嘆息が漏れた。
 どこまで鈍感なのだこの男は。シャロンはテーブルに伏したまま心の中でそう悪態を吐いて、くちびるに触れたフッチの熱を振り切るように瞼を閉じる。
 そうして一瞬後には皿を奪い取ってモンブランを完食し、フッチの苦笑を誘っていた。

5.短いまつげ

 ただいま、と声を掛けながらフッチが部屋へ入ると、鏡を覗き込んで何やら唸り声を上げているシャロンの姿があった。いつもならばすぐさま駆け寄ってくるはずの少女は、フッチに気付かないまま鏡を睨み付けて執拗に目元を弄っている。
 何かあったのかと首を傾げながら近付き、シャロンの背後から同じく鏡を覗き込んだ。
「どうしたんだい、シャロン」
「うっわ! ちょっともう、いきなりなんなのさ!」
 大きく肩を震わせ鋭く振り向いた少女は、咄嗟に手に持つ何かを隠しながら誤魔化すように叫んだ。至近距離での大声が堪えたのか、フッチは耳元を押さえて表情を歪ませている。
「……ただいまお嬢さん。一応声は掛けたのだけれどね。返事がないから──って、あれ、なんか、」
 少しの違和感にシャロンを見やる。ギクリと気まずそうに顔を逸らしてシャロンは俯いた。
「化粧、してる?」
「なによぅ! ボクが化粧したら悪いわけ!?」
 気まずそうな表情はそのままに、頬を染めているシャロンにフッチは目を瞬く。なるほど、違和感の正体はその目元にあった。普段は短く光を受け煌めく睫毛が、今はぱっちりと長く伸び、くるんとカールしてその存在を主張している。
「さっきもらったから付けてみたんだ」
 そう言って先ほど隠した何かを見せた。男であるフッチにそれが何であるかを察することは出来ないが──パーシヴァル辺りであれば容易にブランド名まで当ててしまいそうだけれど──化粧品であるのだろう。
「何だい、それは」
「マスカラだよマスカラ。エステラさんみたいなバッサバサの睫毛に憧れるなあって言ったらくれたんだ!」
 その名にぞわりと背筋が粟立ったが気付かない振りをした。かの女性が関るとロクなことにならないことは数々の事例が証明しているが、何事もないことを祈るほかない。
「若いんだから化粧なんてしなくても……そのままで充分じゃないか」
 瞬間、親の敵のように鋭く睨まれる。あまりの形相にフッチは口元を引き攣らせた。
「フッチはなっがい睫毛してるから良いよね、悩みがなくってさ!」
「いやでも、長くても良いことなんかないぞ」
「何それ!? ボクの気持ちも知らないで! こうなったらその睫毛ぜーんぶ引っこ抜いてやるう!!」
 悔しげに喚きながらフッチの服を掴んで揺する。がくがくと激しく揺らぐ視界にフッチはよろめいた。勢いのままシャロンに押されるように倒れ込む。咄嗟に庇うように少女を抱いたのは染み込んだ習性ゆえか。
 部屋の中大きく音が響く。踏み止まれなかった自身への苦い思いが滲む。不覚だ。

 倒れたままふうと一息吐いて、腕の中の少女を覗き込んだ。衝撃に眸を潤ませながら起き上がるさまになぜか落ち着かない気持ちになるのは──初めて目にした化粧のせいだろうか。少女が少女でないような、そんな奇妙な感覚に囚われる。
「アタタ、もー、オンナノコ一人くらい転けずに受け止めらんないわけ!?」
 フッチの上に馬乗りになったまま抗議するが、当のフッチは茫としたまま視線は一点を凝視している。倒れたときに頭でも打ったのだろうかと、目の前で手を振ってみるも反応はない。シャロンはむうと眉を寄せた。
「ちょっと、聞いてんの!?」
 思い切り顔を近付け叫ぶ。そうしてようやく眼前の大地色の双眸が気付いたように瞬いた。
「……ああ、うん。すまない。なんか、」
 やはり一点を凝視したまま。
「フンだ。どうせボクに化粧なんて似合いませんよーっだ!」
「いや、そうじゃなくて、」
 拗ねたようにそっぽを向くシャロンに弁明しようとするも、スカーフを掴まれ揺すられることで遮られた。
「じゃあなんなのさ。もう、ハッキリしてよね!」
 そう言って投げやりに手を離されたことで、頭を床に強かに打ちつける。生理的な涙を滲ませながらシャロンを見やると、怒りか羞恥か睫毛を震わせ涙ぐんでいた。泣きたいのはこちらだ、と心の中でため息を一つ。
 けれどああもう、この少女の涙と笑顔にはどうして適わないのか。守り育ててきたからだろうか、やさしく抱きしめて何をもから守りたくなるのは既に本能の域だった。
 フッチは困ったように笑んで、そっと少女の涙を拭った。
「そうじゃないんだ。ただ、シャロンがシャロンじゃないみたいで……吃驚した」
「ちょっとマスカラしただけじゃん。あとは変わんないよ」
 頬に触れる指にくすぐったそうに少女は笑む。いつものそんな仕草さえ色めいて見えるのは──少しの後ろめたさを感じ、フッチはそれとなく視線を逸らした。
「お嬢さんはそのままが一番愛らしいと、思う。化粧は大人になってからでも良いんじゃないか」
「ぅぇっ? ま、まあねっ、今は若さが武器だよねっ! フッチがどうしてもって言うみたいだし、ボクも別にキョーミないし、まだいっかなっ」
 シャロンは耳まで赤く染めながら、誤魔化すようにうんうんと頷いて言った。
 ──やはりフッチのスカーフを掴んで揺すりながら。

 滲む視界の中、けれどフッチは安堵したように息を吐いた。芽生えた奇妙な感覚に、気付かない振りでいられた方が──良いのだと。

6.横顔はきれい

7.観察眼

8.隠していても分かる

 ここ数日続いた雨天は、ようやく晴れ間を見せた。
 訓練所への回廊を歩んでいた足を止め、フッチは空を仰ぐ。遠く山間に虹が見えた。表情を緩め大きく息を吸い込み、そうして雨上がりの空気を身体中で満喫したあと、再び歩を進めた。

 角を曲がった途端、足元に僅かに破片の感触があった。不審に思い周囲に目を凝らすと、台座に本来あるべき花器がない。近付き、裏側を見やる。
 果たしてそこには、花器であっただろう残骸が無造作に放り込まれていた。自然、口元が引き攣る。
 心当たりの人物を思い描いたところで気配を感じ鋭く振り返ると、先の角に朱い竜冠がちらりと見えた。フッチは薄い笑みを貼り付かせ、動向を見守る。しばらくすると、おずおずと小さな少女が顔を見せ、フッチの視線に気付くと慌てて逃げ出そうとし──転んだ。

「シャ〜ロ〜ン〜?」
 フッチは額に手を当て深くため息を吐き、低く少女の名を呼んだ。途端少女は肩を震わせ勢い良く立ち上がり、恐る恐る振り返る。フッチは薄い笑みはそのままに、怪我の有無を視認する。派手に転んだ割には、膝を赤くする程度で済んだようだった。少しの安堵に息を吐き、腕を組み背後の破片を指差す。
「シャロン、あれはなんだい」
「ボクじゃないもん!!」
 間髪入れずシャロンは叫んだ。しかしその目はきょどきょどとしきりに彷徨っている。
「シャロン。怒らないから正直に言いなさい」
「もう怒ってんじゃん!」
 フッチは幾度目かのため息を吐いた。
 頬を膨らませくちびるを尖らせる少女の前に近付き跪く。その両手をやんわりと包んで、やさしく問うた。
「シャロン?」
 やさしく見つめられ少女の眸は惑うたもの、きゅうとくちびるを噛んで否定する。
「……ボクじゃな……いひゃいいひゃい!」
「ん?」
 フッチは顔を引き攣らせながら、シャロンの両頬を柔く抓む。
「『ごめんなさい』は?」
「ご、ごめんなひゃいいい」
 観念したシャロンが素直に謝罪すると、フッチは抓んでいた指を離し、労わるように頬を撫ぜた。大きなその手の上に、少女の小さな手が重なる。そうして今にも零れんばかりに眸を潤ませ、ひくりとしゃくり上げた。

「──なんてことがあったね」
 覚えているかい、と腕を組んで口元を引き攣らせたフッチの前には、正座をさせられたシャロンが居た。不満げにくちびるを尖らせそっぽを向いている。
「あれから何年経ったと思っているんだい。どうして君はそう成長しないんだ!」
「……ボクのせいじゃないもん」
 花器の残骸を前に、懲りずに否定する少女の頬を過去をなぞるように抓り、フッチは顔を近付けた。
「君の隠し事なんて何でもお見通しなんだよ」
「フンだ! ボクの気持ちには全ッ然気付かない鈍感竜バカ男のクセにぃ!」
 一字一句ごとに抓られる頬を押さえ、シャロンは勢い良く立ち上がり叫ぶ。
 そうしてしかめ面で舌を出し、捨て台詞を残して脱兎の如く駆け去って行った。

 フッチはしばらくの間、少女が開け放したままの扉を無言で見やっていたが、やがて深くため息を吐いてこめかみに手を当て呟いた。
「まったく、判ってないのはどっちだよ……」
 再びため息を一つ。
 そうして城主へ謝罪すべく、部屋を後にするのだった。

9.鼻先のキス

 人気のない深い森の中、フッチとブライト──そしてシャロンは湖で戯れていた。
 ブライトは姿形こそ立派に成長したが、まだまだ成年に満たない子供だ。翼を開き、跳ね、潜りと、機嫌良く鳴いている。フッチもこのときばかりは、童心に返ったようにずぶ濡れになってはしゃいでいた。

 シャロンもひとしきり共に水を浴びていたが、子供とはいえ竜の体力についてゆけるはずもなく。畔で足を漬けたまま大の字になって寝転がり、遠く空を見上げていた。雲一つない高い高い青に鳥の姿が見える。そうして、森林の清い空気に肺が満たされる心地良さを感じながら瞼を閉じた。

 フッチの笑う声が聴こえる。
 ブライトの高く短い甘える声が聴こえる。

 シャロンが少しの疎外感にチラと二人を横目で見やると、フッチはくすくすと笑って何事かを囁きながら、ブライトの鼻先にくちづけていた。ブライトも応えるように頬を擦り付ける。──面白くない。
 フッチは自他共に認める筋金入りの竜バカであるので、キスなどそれこそ日常茶飯事ではあるのだけれど──面白くない。

 むうとくちびるを尖らせ空を睨み上げていると、シャロンの不機嫌な様子に気付いたのかフッチがその顔を覗き込んだ。その背後では、ブライトが心配げに尻尾を揺らしている。
「シャロン? どうかしたかい」
 フッチの髪から滴る雫のこそばゆさに目を細めながら、シャロンはますますくちびるを尖らせる。
「だってフッチずるい!」
「なにが」
「ボクだってちゅーしたい!」
 ずるいずるいと水の中で足をばたつかせながら喚くシャロンの言葉に軽く目を見張ったあと、フッチは本当に嬉しそうに微笑んだ。
「なんだ、そんなこと?」
 そうして──

「うわっぷ」
 ブライトが甘えるように鳴きながら、鼻先をシャロンに擦り付けた。ついでにざらりと舐められる。
「嬉しいな、シャロンがそんなにやきもち妬くほどブライトを好きだなんて。ほら、ブライトも喜んでいるよ」
 尚も押し倒すように全身を擦り付けているブライトの首筋を、フッチはやさしく撫ぜて笑う。

「ちっがーう!!」
 そんなシャロンの否定の言葉は、森に木霊して消えた。

10.額と額