勝手にしなよ

「──ああ、やっぱり!」
 常と変わらず石版の守り人として佇んでいたルックは、遠く入り口から響いた声に煩げに視線を投げた。白い何かを抱いた少年が小走りに駆け寄ってくる。そうして花咲くように満面の笑みを浮かべた。
「ルックだろう? 僕だよ、フッチだ。元竜洞騎士団のフッチだよ」
 覚えている? と首を傾げて覗き込まれる。ルックは軽く鼻を鳴らしてすいと顔を背けた。
「……そのトカゲはなんなのさ」
「トカゲじゃないよ、きっと竜だ。ううん、絶対竜だよ。名前はブライトっていうんだ」
 そう言って白い『竜』を掲げる。生まれたての小さな身体で空色の眸をまあるく開いて、それは小さく鳴いた。フッチがいとおしそうに頬を寄せるさまをチラと一瞥し、ルックは呆れたように息を吐く。
「敵の総大将の名を付けるなんてトンデモないね、君って」
「……知らなかったんだから仕方ないだろ。それに──ブライトはブライトだもの」
「まあ、『ホワイト』よりはマシなんじゃない」
「──もしかしてバカにしてる?」
 鼻で笑うルックにくちびるを尖らせるも、フッチは気を取り直したようにブライトを抱き直して笑みを向けた。
「はは、ルックはルックのままだ、変わらないね。──ああでも少し、背が伸びたみたいだ。もう追い越すくらいにはなったと思ったんだけどな」
 比べるように手を翳し、少し悔しげに苦い笑みを浮かべた。
 ルックは不快気に眉を寄せながらフッチを見やった。三年前は昏く荒んだ表情の多かった少年は、竜を手に入れ希望を見出したからだろうか、友を亡くす前のあのただの高慢な表情とは違った、柔らかい笑みばかりを見せる。以前のような小生意気さはすっかり鳴りを潜め、随分落ち着いた物腰をしていた。
 月日はこんなにも人を変えるものであったのかと、時の流れぬ塔で生きる自身を顧み──少しの眩しさに瞼を伏せた。
「フン、君の方こそ変わりはないようだね──と言いたいところだけど、えらく大人しくなったじゃないか。昔はあんなにクソ生意気なガキだったのに」
「……君がそれを言うんだ……」
「なに?」
「……べつに」

 そうして城を流れるふうわりとした風を全身に感じながら、フッチは深呼吸するように息を吐いた。
「ああ……この風、ルック──君だね」
 怪訝そうに視線を寄こすルックへ小さく微笑んで続ける。
「一見ルックの言葉は冷たく思えるけど、いつだってその風は温かくて──優しかった」
 柔らかな流れが髪を撫ぜてゆく。心地良さに瞼を閉じて記憶を辿った。
「三年前、ブラックが死んでひどく塞ぎ込んでいたあのときも、風がずっと傍でやさしく見守ってくれていたよ。冷たい言葉とは裏腹のそれを、とても温かく感じたのを覚えてる」
「……思い込みもそこまで行くと感嘆に値するね」
 呆れたように嘆息するルックに、フッチの苦笑が漏れる。けれどそれは小さな笑みへと変わった。
「僕は竜と空と風と共に生きていたもの。──判るよ」
 そう言って、風色の双眸を見据える。懐かしいその色は、やはり深く柔らかな色をしていた。
「……勝手に言ってなよ」
 不機嫌に顔を背けるさまもまた懐かしい。フッチは思わず噴き出すように笑った。ますますルックの柳眉は寄せられ、ロッドが振り被られる。切り裂かれる前に、と慌てて飛び退く。舌打ちが耳に入りまたも噴き出しそうになるのを堪え、気を取り直したように右手を差し出し微笑んだ。
「これからまた、よろしくな」
 ──その手が握り返されることはなかったけれど、風が笑ったから。きっと応えてくれたのだと、フッチはそう思った。