sysphere*

Loop 05

 右から左へ、そっと指なぞる。癖の無い、手本のように流麗な字。ロヴィスコの遺したそれにもう、何度触れただろう。

『ライツの破天荒さに救われた』

 初めは他者の口を介して伝えられた手記。読み聞かせられるなど、ほんのガキの頃以来だった。
 クソのような場所にも、どうしてだか不釣り合いな人間が居るものだ。ゴミと棄てられたガキ共に、唄うように物語を読み聞かせていたヤツもそんな一人だった。
 七人の騎士を従え、魔物アモンテールより光の乙女を救い出した騎士王──ライツ一世。おとぎ話の、英雄。
 誰がせがんだのか、幾度となく聞かされたそれ。子供心に憧れる、などと可愛らしい感情とは既に無縁だったライツは、何を思うでもなかった。ただ繰り返し耳にしたことで記憶したに過ぎなかった。

『滝を下りるなどという考えは……以前の私では思いつきもしなかっただろう』

 字なんてものは、生きていくうえで特に必要性を感じなかった。
 この身ひとつ。ただそれだけが生を繋ぐものだった。字が読めようが、食い物が降ってくる訳ではない。字が書けようが、雨風が凌げる訳ではない。
 そう、思っていた。

『故郷を失ったことは……とても辛く、残念なことだ』

 けれど。
 ロヴィスコを殺し、ホクレアアモンテールを殺し、反勢力を殺し。屍の玉座で血塗れた王冠を戴きながらいつしか──読みたいと。ロヴィスコの遺した想いに触れ、迷う心を照らし導いてほしいと──真意は胸奥に隠し習った。

『だが、このような逆境のやみの中にあっても、光り輝くものが全て失われたわけではないのだ』

 飾らない、素の表情を見せるもの。決して他者に悟らせることのなかった、恐れ。ライツのこと。コーネリアのこと。世界の果ての滝を下りた日のこと。新天地での様子。互いに袂を分かったこと。
 そして。
 あの日・・・の直前で、綴られたページは途切れていた。

『月と星とが、夜を照らすように』

 そこには──ロヴィスコが、居た。

「──……イツ、ライツ!」
 まどろみの中、声が聴こえた。肩を揺すり覚醒を促す声が。ライツはひとつふたつと瞬いて、ましろな制服へと焦点を結んだ。
「またおまえは勝手に他人ひとの部屋に……。しかし珍しいな……机でうたた寝とは」
 ロヴィスコの視線がライツの手元で止まる。枕のように開かれていたのは──
「日記など……面白いものではないだろう」
 たしなめる響きで嘆息が降る。
 マナーがどうとか、面白さだとかは問題ではない。ただ、触れたかった。真新しいインク、微かに部屋の香を移す紙、これから綴られるだろうページ。遺された欠片ではなくそのものに。
「うるせえよ。見えるところに置いとく方が悪ィんだ」
 眦に滲むものを欠伸で誤魔化し立ち上がる。そうしてロヴィスコの腕を引き、机上へと組み伏せた。
 いつもの・・・・強引で脈絡のない行為の、始まりの合図。真直ぐに注がれる眼差しを受け止めるだけの冷静さは持ち得なかった。表情を取り繕う自信も無かった。
 だから。
 乱暴に後ろ手に捻り上げ、背中から覆い被さるように犯した。視界の端に開かれたままの、手記からも目を逸らして。

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