sysphere*

Loop 06

 遠く大瀑布を臨む小高い丘の上、開けた地は天を遮るもののない星降る場所だった。
 あの滝を越えて、ライツは今──ここにいる。
「『神の奇跡』……か、」
 これもまた、奇跡なのだろうか。ライツが今ここに居る・・・・・・ことも。

 夢の始まりさえ今は──遠い。それとも、ロヴィスコを殺し王となったことこそが──夢だったのだろうか。
 きゅうと胸元を握り締める。首下げた航海の守り星ステラ・マリスの存在を確かめるように。
 そう、ここ・・は最期に願った夢のつづきだ。あの海で死ぬことを願った夢の──けれど今、ライツはこうして、生きている。いや、生かされているのだろうか。死を望むたびに繰り返された、あの海に。
 ならば、夢の終わりはいつなのだろう。この地でただ、第二の人生を謳歌しろとでもいうのだろうか。それこそ──おかしな夢だ。おとぎ話でもあるまいし。
「おとぎ話か、」
 呟いて、ひとつ息を吐く。
 ライツ一世──この名もおとぎ話の英雄の名であることを思い出し、自嘲にくちびるを歪めた。
 ライツには、そもそも親から与えられた名など無かった。便宜上名として呼ばれたものはいくつかありはしたが、どれも記号に過ぎなかった。
 そんな亡霊には、夢の中を延々彷徨うのが似合いなのかもしれない。どちらにしろ、ライツ・・・は死んだのだ。裏切りの刃に貫かれて。

「ライツ」
 名を呼ぶ声に、思考の海より引き上げられる。真直ぐな短い赤髪を潮風に流しながら、コーネリアが半歩後ろで立ち止まった。
「船長が、あなたはここだろうって」
 チラと視線だけで振り返り、ライツは鼻嗤う。
「なに、夜這いでもしてくれてんの? 青姦がお好みってか」
「冬場にすることじゃないわね。風邪を引きたいのならどうぞ。ベッドで優しく治療してあげるわよ」
 慣れた口振りで軽くあしらうコーネリアにまたひとつ嗤って、ライツは腰を落とした。そうして後ろへと倒れ込む。
「船長が呼んでるわ。今は村長むらおさたちと話し合いの途中だから──あとで部屋へ」
「ああ……誘ってんのはロヴィスコの方か。なんならあんたも、」
「3Pは趣味じゃないの」
 両腕を敷き天を仰ぐライツを冷ややかに見下ろして、コーネリアは鋭く切り捨てる。けれど常のように素気無く踵を返すことはせず、倣うように腰を落として足を伸ばした。
「あなた……いつも星を見ているのね。まるで月に焦がれるおとぎ話の姫君みたい」
「……おとぎ話、ね……」
「還りたいと泣くの。でも愛し愛された地を捨てられないの。けれど最後は……迎えが来るのだったかしら」
 そんな目をしてる、そう小さく呟いた。
「お姫さまってガラかよ」
「例え話よ。夜空を見ているときのあなた、別の世界に生きているようなんだもの」
 別の世界──そうなのかもしれない。ここはライツの見る夢なのだから。
 こうしてコーネリアと穏やかに他愛も無い会話をするなど、夢の中でしか有り得ない。耳撫でるやわらかな声──心地よいそれに、ライツはそっと瞼を伏せた。
「トライ=カンティーナでは星なんて……見えなかったわね。いつも薄黒いスモッグに空が覆われてた」
 視界を埋め尽くす星の海を見上げながら、今は亡き祖国を想う。
「海の上でもおかでも……ひとは光が無ければ迷ってしまうわ。やみにこころを暗く閉ざされて」
 そうしてコーネリアは、ライツの胸元へと視線を移した。
「……知ってる? 『ホクレア』って『祝福の星』という意味なのですって」
 ホクレア、とくちびるだけで名を象って、ライツは瞠目した動揺をゆうるりと瞬くことで押し隠した。
「あなたは彼らをあまり快く思っていないようだけれど……、『ホクレア』はこの世界で私たちを導いてくれる星よ。私たちはここで、祝福されて生きてゆくの」
 だから、とライツに視線を絡め手を伸ばす。
「あなたも間違えずに、迷わず歩いてゆけるのよ」
 そうして、ステラ・マリスへと指し触れ立ち上がった。
「あなたとこんなに話したのは初めてかしら。今度はあなたの話を聴かせて。そうね──その、ステラ・マリスのことでも」
「ベッドの中でならいくらでも聴かせてやるよ」
「あら、子守唄? 素敵ね」
「……ああ、夢みたいな──おとぎ話だ」
 英雄王ライツ一世が、最期に旅した世界の話を──いつか語ろう。

 一人丘の上寝転がったまま、ライツはくつくつと笑った。星の海に抱かれながら、コーネリアの言葉を反芻する。
「『ホクレア』は『祝福の星』──……か、なるほどな」
 建国に於いて、アモンテールと──魔物と厭忌し殺戮し迫害した者たち。
 求め彷徨うその手で、自ら星墜としていたというのか。
 気味が悪いと唾棄した力で、彼らが何をしただろう。慣れぬ環境に病に倒れる船乗りたちを、癒してくれたのではなかったか。英雄譚の魔物と同じ白い髪と赤い眸は、決して呪詛に彩られてなどいなかった。突然現れた異邦人を侵略者と害せず、友と受け容れてくれたではないか。
 何を見ていたのだろう。コーネリアの言うように──やみに閉ざされこころさえ失っていたのか。

「空の上のきれいなところ──か」
 この地はこんなにも──やさしく美しかったのに。

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