得物

 シャロンは不満気な様子でフッチの手元を見ていた。

 面白くない。
 せっかく会いに来たのに、フッチはといえば大剣の手入れに夢中だ。

 面白くない。
 フッチの得物はシャロンと同じ槍であったのに。

「ふ〜ん、あの大男……」
「ハンフリーさん」
 フッチは手元への視線もそのままに訂正する。
 シャロンとて大男──もといハンフリーの名くらい知っている。だけれど気に入らないのだ。(だってずっとフッチを独り占めしていた奴だ)(今だって)
「……ハンフリーさんから貰ったんだ?」
「ああ、もう前線からは引退するらしくて。残念ながらまだ使いこなせてはいないけどね」
 ますます不満気にくちびるを尖らせながらも素直に応じるシャロンに笑みを向け、そうしてフッチは視線を戻した。
 使い込まれた大剣。刻まれた傷さえ愛おしい。ハンフリーとの旅の思い出が蘇る。戦士であったけれど未熟で幼かったフッチを守ってくれた背中は、いつもこの剣と共にあった。
「え〜! でもさ、でもさ、ボク、ヤだなあ……ムキムキのフッチなんて! 想像つかないよ」
 何を想像したのか、また思考があらぬ方向へ飛んでいるのか、シャロンはその身を捩じらせていた。
「……何言ってるんだい。これでも昔に比べれば随分筋肉ついた方なんだけど」
「フッチは美少年だから、まあ多少の筋肉は良いとしてもだよ? ハンフリーさんみたいな厳ついカンジにだけはマジカンベン!」
 思わず立ち上がり頭を抱えながら叫び出すシャロンに、ああもういつものことであるからため息はただの呼吸であるけれど。それでも一つこれだけは。
「……もう少年って歳でもないんだけど。というか『美』少年はやめ──」
 『美少年攻撃』──フッチの脳裏に苦い記憶が蘇る。(恥ずかしい)(それこそ頭を抱えて叫び出したい)
「あ、そうだ! じゃあさ、フッチが使ってた『シグルト』、ボクにちょーだい?」
 くるりと、打って変わってキラキラと表情を輝かせながら(まったく人の話を聞いていやしない)、シャロンは甘えるようにフッチを覗き込んだ。
 完全におねだりのポーズだ。ここで甘やかしてはいけないと、過去の経験が物語る。
「駄目に決まってるだろ。大体シャロンには自分の槍があるじゃないか」
「いーじゃん、いーじゃん! どうせ使わないんならくれたっていーじゃんケチィ!」
 大きく頬を膨らませ腕に絡みつくシャロンを適当にあしらいながら、どうしたものかとフッチは思う。
 しばらくすると埒が明かないと悟ったのか、シャロンはするりとフッチの腕を潜り抜け、とうとう膝の上で暴れ始めた。髪の毛は引っ張らないでほしい。
「まったく、このお嬢さんは……。僕だってまだ『ムラマサ』に慣れていないから槍も要るんだよ……」
 本当だ。
 今のフッチでは振り回すのがやっとなのだ。──そう、悔しいことに。
「ぶ〜! じゃあボクのあげるから! ね!?」
 なんだそれは。──脱力する。簡単には諦めてくれないらしい。判ってはいたけれど。
「シャロンの使ってどうするんだよ……。それに『シグルト』は男性用だ。お嬢さんには重くて向かないよ」
「…………」
「新しい槍が欲しいなら、今度下に行ったときに買ってあげるから。な?」
 そうやさしく言いながら、口を噤み下を向いてしまったシャロンの頭を撫でた。
 母親譲りの煌めく金の髪。フッチはこの太陽のようなまぶしい髪が好きだった。撫でていた手を止め、髪を梳く。
「……フッチのが良いんだもん。フッチのじゃないと意味ないんだもん」
 大人しくされるがままだったシャロンが、ボソリと呟いた。
 そのまま、ことりとフッチの胸に頭を預ける。
「なんで」
 フッチの問いに、シャロンは信じられないというように勢いよく顔を上げた。そうしてまた下を向き、唸りながら頭をぐりぐりと擦り付ける。
「〜〜〜! なんで判んないかなあ、この竜バカは」
 (このドンカン竜バカ男)(竜に埋もれてしまえ)(ああだめだそれは喜ばせるだけだ)
「……何か言った」
「フンだ」
 ツンとシャロンはそっぽを向いた。すっかり機嫌を損ねてしまったようだ。
 フッチは苦笑する。ワガママなお嬢さんにではなく、結局はこの少女に適わない自分に。これはもう、仕方がない。フッチがシャロンに甘いのは、もう仕方がないことなのだ。そう自分に言い聞かせて。
「良いよ」
「へ?」
 ぱちくり。顔を上げ、シャロンは猫のような目をさらに大きくさせた。(何と言ったのか)
 フッチはしっかりとその目を見つめ、そして微笑んだ。ポンと彼女の頭に手を乗せる。
「あげても良いって言ったの。ただし、僕が『ムラマサ』を充分に使えるようになったらね」
 途端シャロンは、ぱ、と満面の笑みを浮かべ、愛らしい八重歯を覗かせながらフッチに抱きつく。
「!! ホント!? ありがとう! ありがとうフッチ! だから好きなんだ〜!」
「はいはい」
 ぎゅうぎゅうと首に絡む腕に苦笑しつつ、シャロンの肩をやさしく叩く。
 やはり、この笑顔には適わない。
 ああだから苦労することになるというのに。
「んじゃ、早速今から練習してくるよ! 『シグルト』借りるね〜!」
 そう言うが早いか、フッチの膝から飛び降りたシャロンは、壁に立て掛けてあった『シグルト』を掴み駆け出して行った。
 (扉は閉めて行け)(槍を振り回すな)(言いたいことはたくさんあるけれど)

「……既にシャロンの物と貸しているような気がするのは気のせいだと思いたい」