剣術だって出来る

 騎士らの指導を終えたフッチは、訓練所の隅で大剣の手入れをしていた。
 その眼差しに柔らかな熱が灯る。ブライトへ注がれるものとはまた別の、大地色の温もり。時折静かに瞼を閉ざして思い浮かべているのは何だろうか──誰だろうか。
 ふと見上げた先で目にしたそれに何となく面白くない気持ちを持て余しながら一通りの修練を終え、シャロンはその背中に寄りかかるように座り込んだ。
「この竜バカの剣オタクー」
 一言ごとに首を反らし気味に思い切り体重をかける。不名誉な称号に脱力したのか、抗いもせずフッチの身体が前へ前へと傾いてゆく。
「──竜バカは認めるけれど、剣オタクって、」
「だって、すっごいいやらしい目付きだったじゃん!」
「いやらっ──あのなぁ」
 フッチは前傾姿勢のまま剣を抱いて嘆息する。背中合わせの位置からではシャロンにその表情を窺い知ることは出来ないが、頬を引き攣らせてこめかみに手を当てているさまが容易に想像出来た。
「ハンフリーさんから貰って嬉しいのは判るけどさあ」
 つまんない、と心の中だけで呟いてシャロンはくちびるを尖らせた。あんなにも愛おしさに満ちた眼差しの向けられる先が、例え無機物であったとしても面白くないのだ。それこそつまらない独占欲だと判っているけれど。
 苛々をぶつけるように寄りかからせていた背中を丸め、膝を抱える。寂しげに離れていったそれに少しの苦笑を漏らして、今度はフッチがそっと背を預けた。
「そういうお嬢さんも、シグルトを眺めてときどき笑っているじゃないか」
「!! 知らないよっ、カンチガイじゃないの!」
 無意識の行動を見咎められていたことへの羞恥を誤魔化すように、シャロンは声を荒げた。
 フッチから譲られた──正確には無理矢理奪った──槍を手にするたび、言い様のない喜びが湧き上がっていたのは事実だ。フッチが命を預けまたそうして彼を守ったそれに、今はシャロンが命を預けている。フッチに守られているような気がした。そう思うと自然頬が緩むのだ。
 それを本人に見られていたことを知って、あまりの羞恥に叫び出したくなった。鈍感なこの男のこと、笑みの意味にまでは気付いていないかもしれないけれど。
 人のことをとやかく言える立場ではなかった、と慌てて話題を変える。

「そ、そういえば! フッチってどこで剣習ったの? ボクたちって槍しか使わないじゃん」
 歴代の竜騎士でも、槍以外を得物としていた者は居ない。フッチが剣を手にした当初は、周囲に随分反対されていたようだった。その剣術を以ってすぐに納得させてはいたけれど。
「そうだね……僕の師はハンフリーさんだけれど、最初の剣の師はフリックさんだったんだよ」
「フリックって──『青雷のフリック』? お母さんから聞いたことあるよ。解放軍の副リーダーだったって、」
 もう十五年も前になるだろうか。フッチは遠く解放戦争の頃へと思いを馳せながら、噛みしめるようにゆっくりと口を開いた。
「フリックさんは、ブラックを亡くして失意の底に居た僕を『剣術を教えてやる』と言って連れ出してくれたんだ」

 ヨシュアの前では気丈に振る舞っていたが、騎竜を亡くし竜洞を追放されたフッチは食事もほとんど口にせず、独り部屋に閉じこもりただブラックを想い涙していただけだった。甘えなのだと判っていても、それでも十もそこそこの少年にとって、自身の半身をもぎ取られた痛みは心に深い傷と昏い影を落とすものだった。
 そんなフッチを皆が気遣ってくれていたが、そのことにさえ気付けないほど子供だった。

 そうして数日が経った頃──突然フリックが扉を蹴破る勢いで現れ、フッチを無理矢理外へと連れ出した。
「そう暗い顔すんな。俺が剣術を教えてやるからさ」
 竜洞との別れ際にも言われたその言葉を、同じように乱暴に頭を撫でながら口にして。

 可愛げもなく口答えするフッチに、根気良く付き合ってくれた。
 感情のままに当り散らすフッチを、厳しくも優しい言葉で諌めてくれた。
 ブラックの最期を思い出しては震え出すフッチを、力強い腕で抱きしめてくれた。

 最初はただ何も考えたくない一心で、教えられるままに剣を振るっていた。
 そうしていつしか、強くなりたいと願うようになった。無様にただ守られるのではなく、今度は自分が守るのだと。そのための術をと。
 守るための剣をその銘に誓ったフリックの姿が、フッチの目標となった。

 そう語ったフッチは、最後に深く息を吐いた。
「剣の師である以上に、フリックさんは僕の憧れの人なんだ」
「ふぅん……」
 背中の重みと熱を心地良く感じながら、シャロンは母から伝え聞いた『青雷のフリック』を思い描いていた。

 曰く、青い。──外見的な意味でも、性格的な意味でも。
 曰く、女難の相あり。

「──だから今のフッチがあるんだね」
 そう、しみじみと呟いた。
 嬉しそうに微笑む気配が背中越しに伝わってきたが、シャロンが言いたかったのは別の意味だったのだけれど。