生意気盛り
最早竜洞の日常と化した光景は、今日も今日とて繰り広げられていた。
「コラ! 待てシャロン!」
説教は終わっていないと叫ぶフッチを鬱陶しげに振り返り、シャロンはしかめ面で舌を出した。
「べーっだ! フッチのこじゅーと!!」
そうして捨て台詞を残し駆け去ってゆく少女の背中を苦々しく見送ったあと、フッチは額に手を当て深くため息を吐いた。
「小舅って……またお嬢さんはどこからそんな言葉を」
「ふふ、シャロンにかかるとフッチも形無しだな」
がくりと肩を落として呟く背中に声が掛かる。
「ミリア副団長!」
その姿を認めると、フッチは勢い良く背筋を正し敬礼をした。
「良い、楽になさい。──まったく、シャロンてばフッチのことがお気に入りで仕方ないものだから」
ミリアは頬に手を当て軽く息を吐く。
フッチはその言葉に喜ぶべきか悲しむべきかと複雑な思いに口元を引き攣らせながらも、諦めたように肩を竦めて微笑んだ。
「まだまだ生意気盛りな年頃ですしね。懐いてくれていると思えば可愛いものですよ」
ちょっとイタズラが過ぎる気もしますけれど、とミリアと顔を見合わせ笑った。
「しかし、フッチもあのくらいの時分は随分と生意気なコドモだったように記憶しているが?」
「ミリアさん!」
くすくすと昔を思い出して笑うミリアにフッチは頬を染めた。思わず当時のように呼んでしまい、失言を悟り口を噤む。
「懐かしいわ。あなたが帰ってきてからは、もう以前のように呼んでもらえなくて寂しかったのよ?」
言いながら優しく髪を撫でられ、フッチはますます頬を染めた。
フッチが騎竜を喪い追放される前──竜洞で過ごしていた幼い頃、ミリアは男性騎士らの憧憬の的であった。赤き竜を駆る凛々しさ、クールな物腰、それでいて細やかな気配りと優しさを併せ持つ女性らしさ。フッチも例に漏れず、そう、初恋と言っても良い淡い想いを抱いていた。育つことの無いまま思い出となった恋であったけれど、今も深く敬愛する気持ちは変わらない。
二十歳も間近というのに幼い少年のように頬を染めるフッチを、ミリアは姉のように母のように愛おしく見つめた。
もう十年にもなるだろうか、あの頃のフッチは竜だけが友で、竜と心を通わせられず空を駆けることの出来ない人間を見下しているふしがあった。言動にも行動にも如実に表れていたそれは、周囲と更なる摩擦を呼び益々孤立していった。
竜騎士としての類稀なる才能に恵まれていたことも要因だったのだろう。団長に目をかけられていたことに嫉妬する騎士も多く、出自のこともあってか謂れのない悪意を向けられ、そうしてフッチは益々意固地になってゆく悪循環であった。
そうして──ブラックを喪い掟に従い追放されたフッチは、絶望に心を閉ざしながらも解放戦争を戦い抜き、ヨシュア団長の親友であるハンフリーと共に旅立った。弟とも愛した少年を手放すことへの一抹の不安と、けれど必ず新たな竜を得て帰ってくるのだという絶対の信頼を持って送り出したあの日が、今でも昨日のことのように鮮明に思い出される。
その後たった数年で身も心も見違えるように成長した少年は、輝く白き竜と共に見事帰還を果たしたのだ。
年甲斐も無く涙を溢れさせてしまったけれど、彼を知る者は皆同じ想いを抱いただろう。
フッチの髪に触れていた手を肩へと滑らせる。そうしてそっと、けれど万感の想いを込めて抱きしめた。フッチは突然の抱擁に狼狽し、落ち着きなく視線を彷徨わせている。
「本当に……大きくなったわ」
潤んだ声音で囁かれ、フッチもまた感極まり眸を潤ませた。
「はい……はい……ミリアさん、」
そうしてその背中へと腕を回そうとして──
「フッチはボクの!!」
と、叫んだ少女が二人の間に割り込んだ。
闖入者に瞠目するフッチとミリアを交互に見やり、シャロンは怒りに頬を膨らませる。
「フッチはボクのなの! おかーさんになんかあげないんだから!!」
そう言ってミリアを睨みつけながら、ぎゅうぎゅうとフッチにしがみついた。
行き場をなくしたフッチの腕が自然シャロンへと回り抱き上げる形になったが、未だに瞠目したまま視線は動かない。
その姿にミリアは思わず噴き出した。声を上げ涙さえ滲ませて。
「あは、あははははは!!! そうか、フッチはシャロンのものか!」
これはすまないね、と娘の頭を撫ぜる。
それでもまだ、シャロンはくちびるを尖らせたままミリアを睨んでいた。その小さな指で、主張するようにフッチの服の裾を握りしめたまま。
「だ、そうだよフッチ?」
ニヤリと笑んだミリアの言葉に、フッチはようやく瞬きと共に意識を取り戻した。
負けられないとばかりにシャロンが裾を引いて問う。
「フッチはボクのだもん。ね!?」
「いや、僕は──」
言いかけて、少女の眸が涙で滲んでゆくのを見て──罪悪感に屈した。
「うん、そうだね……」
僅かに口元を引き攣らせながらもフッチが肯定すると、シャロンはたちまち表情を輝かせた。そうして勢い良くフッチの首元へとしがみつき、そのまろい頬を擦りつける。上機嫌なシャロンに釣られるように、フッチも頬を緩ませ微笑んだ。
ミリアはそんな二人を温かく見つめながら、フッチが弟ではなく息子になる日はそう遠くはないな、と口元を綻ばせるのだった。